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【地図的古今浜松】佐鳴湖

先日、親愛なる静岡新聞において、ある記事が掲載されました。

浜松独自の慣例「持参米飯」やめます

持参米飯とは、浜松市内の一部小中学校で続いてきた「週に一度、昼食用に炊いたご飯を持って登校する」というもの。
おかずは給食として学校で出るようです。

1年ほど前にも静岡新聞で「持参米飯」が記事になっていました。

浜松では週1回、給食に「ご飯」持参

この時から若干否定的な話もあり、記事を読んだ時の私の感覚としては少し時代に合わない事のように感じていました。

ご飯を持っていく学校と持っていかない学校が混在しており、浜松市が一本化を図るうえで「持参米飯は今年度いっぱいで廃止」ということに決まったようです。
時代の流れとは言え、なんだか妙にさみしいですね。


さて、今回は「130年前の地図」と「現在の地図」を見比べてみようと思います。
対象は佐鳴湖周辺。
210620佐鳴湖01
左:明治23年(1890年)
右:現在

ぱっと見でだいぶ印象が違います。

私が感じたのは、130年前は現在と比べて、
 ①佐鳴湖の西側は神ヶ谷まで宅地がない
 ②雄踏街道から南側はすべて田んぼ
 ③佐鳴台も宅地がない
 ④佐鳴湖が若干広い
といった印象を受けました。

単純に人口が増えたというのがベースにあると思いますが、田畑や山林が切り開かれ、現在の浜松になっています。
また、佐鳴湖も一部埋め立てられているようです。

次からは「寄せて」みましょう。
まずは佐鳴湖北岸。
210620佐鳴湖02
現在のパークタウンあたりは一面の田んぼ。
また、新川にかかる「であい橋」と段子川にかかる「ふれあい橋」を結ぶ防潮堤付近まで佐鳴湖面が来ていました。
佐鳴湖岸は田んぼがぐるっと取り巻いていたんですね。
西岸だと、ひょうたん池の東半分まで、
東岸だと小藪の南側まで佐鳴湖が張り出していました。

続いて南岸。
210620佐鳴湖03A
こちらも入野地区の湖岸がかなり埋め立てられたのがわかります。
また、新川放水路はなく、新川も拡幅前です。
雄踏街道も現在のルートよりもくねくねしてます。
ホワイトストリートのあたりには、この当時から道があったんですね。


あー浜松行きたいなー(大声

今週水曜は浜松で聖火リレーです。
市街地ルートは中止となり、北区ルートのみに変更された模様です。

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